ウールフェルトの赤と黒のストール

色の不思議なチカラ・紅色

織物を始めたばかりの若い頃は紅い色には全く興味がなかった。彩度も明度も低い色ばかりを糸に染め織っていた。とにかく渋い感じが好きだった。朽ち果て系の色の布を見ると、その中に潜り込んでいつまでも眠っていたいとさえ思っていた。そんな私が、輝くような美しい紅色を掛け値なしに素敵だと思ったのは、パリの北駅にほど近い宿屋で出会った紅だった。

ファイバーアートのサマープログラムを受講しながら一夏を過ごしたニューヨークは、毎日が眩しい光に満ちていた。そのアメリカを後にしてパリに向かったのは9月はじめ。日本に戻る前に友人宅に滞在して、パリを満喫しようと目論んでいたのだった。降り立ったパリは雨に烟っていた。そして、すでに秋が始まっていた。

手持ちのお金は残り少なかったけれど、航空チケットの使用期限が切れるまでたっぷりと時間があった。『いさせてもらえるだけ、いさせてもらおう』と100% 人頼みの夢を片手に、ドゴール空港から友人に電話をかけた。だが電話が繋がらない。ダイヤルを繰り返してようやく理解したことは、かけている電話は使われていないということだった。ルノーでのお迎え、居心地の良いお部屋に、美味しいワインとお食事。勝手に思い描いていた私の夢は雨に打たれて消えていった。

何が起こったにせよ、友人宅はきっぱりと諦めて宿を探すしかなかった。英語が通じる安い宿。条件はそれだけ。ようやく見つけた宿に向かう私は、半袖のTシャツにヨレヨレのジーンズ姿。パリでの第一歩は、傘もなく小雨に濡れながら歩くことだった。みずぼらしい野良犬みたいだと思いながら、大型スーツケースをガラガラと押した。
寒さと心細さに震えながらたどり着いた宿は、こじんまりとした印象の石造りの建物だった。薄暗くてきしむ廊下。ゴトンゴトンと音を立てて動く一人乗りのエレベーター。その時の私にとって、素敵だと思える要素は何一つない宿だった。スーツケースを広げると足の踏み場がない、ベッドひとつだけの部屋。ベッドは硬くて冷たかった。そして小さな窓が一つだけ。その窓からは、石造りの建物の屋根と小さな天窓が肩を寄せ合って並んでいるのが見えた。パリの空は小雨に煙っていた。華の都の対岸にいるような現実。それでも『パリはパリ。憧れのパリにいるのだよ。』泣きそうな気持ちをワインでなだめながら、カビ臭くて湿気に満ちた部屋で一晩を過ごした。

翌朝、宿の食堂の扉を開くと、香ばしく甘い香りが満ちていた。クロワッサン、焼けたバター、カフェオレ。だがどの香りも、失意の底に居る私の気持ちを救出するための縄梯子にはならなかった。よく眠れなかったし体はカチンコチンこわばっていた。そして、手持ちのぺらぺらの夏服だけで、どんよりと曇った肌寒い街を歩く気力はなかった。
ため息つくのは もうよそう。そう思って背筋を伸ばした時、紅色が目に飛び込んできた。宿屋のおかみさんのスカートの紅い色が食堂を動き回っていた。膝上ミニでタイトなスカート姿のおかみさんの歩き方は美しく、給仕する仕草は優雅だった。(そうそう、フランソワーズモレシャンに似ている感じだった)そして、スカートの紅色は輝いて見えた。
「なんて素敵な色!」そう思ってスカートを眺めていると、美しい紅色の球が飛んできて、胸のど真ん中にドスンと収まった。途端、ガッツのようなものが湧いてきて、街を猛然と闊歩したくなった。紅色が放つ滑らかな光はカンフル剤のように私の体と心に効いた。
カフェオレをおかわりし、クロワッサンをたっぷり食べて私は街へ出かけた。
この青天の霹靂的な紅色との出会いは、色の持つ不思議な力との出会いでもあった。遠い昔の出来事だけれど、あのおかみさんのスカートの紅色は、今も記憶の中で燦然と輝いている。

歩き始めたパリの街はとにかく重厚だった。ルーブル美術館を背に凱旋門までを見渡した時には、ニューヨークの高層ビル群もアメリカの歴史も、風になびく薄い布みたいに思えて独り笑いした。シャンゼリゼを銀座くらいのサイズだと信じていた自分の想像力の薄っぺらさに、さらに笑った。年を経た今、またパリに出かけてみたいなあと思うようになった。今度は大人旅で。

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