食卓テーブルをリメイクする好機をそこはかとな〜く待っていた。
そこはかとな〜く待っていたのは、このテーブルが我が家にやってきたイキサツを含め「このままでいいんじゃない」という緩やかな暗黙の掟のようなものを、これまたそこはかとな〜く感じていたからだった。
そうやって待つこと6年くらい。梅雨入り前の庭仕事をしていて、ふと『自分でやってみよう』と思った。「やってみれば?」とだれかが耳元で囁いたわけでもなく、突然パラパラと雨が降り出すみたいに突然その気になったのだった。この好を逃すまいと、夫にテーブルをリメイクしたい旨を伝えるとあっさり承知してくれた。
我が家のテーブルは6人がけで家具メーカーK社のもの。楢の無垢材を使ったとてもしっかりとした作りのものだ。木の表面は珈琲色に着色され、ウレタン樹脂でコーティングされている。
さて、そのように申し分のないものをリメイクしたいと思い始めたきっかけは、テーブルのあるダイニングキッチンが薄暗くなったこと。
隣の田んぼが埋め立てられ、2階建てのアパートが建ったことで、朝から電灯が必要になった。珈琲色はシックで素敵だけれど、薄暗い部屋には重厚感がありすぎる。そしてシックな色のテーブルの真ん中に吊るしてある、吹きガラスのペンダントライトを点けると居酒屋風になる。それはそれで素敵だけれど、「アペロは何になさいますか?」と365日休むことなく、朝から誘われのもなんだかねえ。夕方からならば大歓迎だけれど。
加えて若者がいる頃は賑やかだっだ食卓が、高齢者のジミ飯がポツリポツリと並ぶような状況になると、テーブル表面のツルツルピカピカが妙に気になってきた。樹脂でコーティングされたテーブルは、いつだって美しく礼儀正しい。汚れもすぐに拭き取れるしシミもつかない。でもその礼儀正しさがよそよそしく感じられ、シミはシミなりに傷は傷なりに、ついたものを湛えて尚フフフと笑えるような、おおらかな木のテーブルに変えたいと思うようになったのだった。
夫の木工の仕事を長年見てきたこともあって、今回のリメイクの作業内容や手順は、私なりに概ね把握していた。
まず木の表面をコーティングしている厚くて硬い樹脂の塗膜と、珈琲色の着色部分を剥ぎ落とす。木の表面が滑らかな手触りになるまで磨く。そしてオイルを塗る。在るものに色を塗るといった足し算リメイクではなく、在るものを剥ぎ取っていく引き算のリメイクだ。完璧な理想はテーブル全体のリメイクだったが、夫からの助言で、天板のみをリメイクし脚部は現状のまま使うことにした。
夫の指導のもとに早速取り掛かった本格的木工作業は、想像以上にキツイものだった。頭でわかっているだけでは役に立たない事ばかり。見るとするでは大違いだ。
木ボコりにまみれて、100cm×180cmの広さの木の表面を磨くのは大変体力を消耗するし、簡単そうに見えるペーパーがけも、そのかけ具合によってはムラができる。美しいものに仕上げるまでには、それ相当の労力と感性が要求される。そして最後の仕上げ作業はその丁寧さが物を言う。
「もういい?」と私。「まだまだ」と夫。このやり取りを繰り返しながら、木を磨くこと4日。木の表面の変化が指先の感覚で捉えられるようになった。
夫の完成度からすると90%くらいの仕上がりで研磨を終えた。私にとってはそれで十分。最後にオイルを塗ると希望通りの仕上がりになった。
リメイクしたテーブルをダイニングキッチンに運び入れ、充実感と達成感となんとも言えない幸福を味わっていた時に、梨木香歩氏のエッセイにあった『はちみつ色』という言葉は、このテーブルの天板を形容するのにぴったりではないかと思った。
様々の状態が層をなしてガラス瓶に収まっているはちみつ。透明な飴色の層、蜜の結晶が固まった不透明な白い層。そして半透明の微妙な色の層。
ひと瓶に収まったはちみつの層をそのまま描写したようなテーブルの天板は、どこをとっても『はちみつ色』だ。
ああそうだ。そう思うと、幸福がさらに大きく膨らんで広がった。『はちみつ色』という言葉の甘さに酔えるのは、はちみつの甘さと美味しさを知っていればこそだけれど。
リメイクしたはちみつ色の食卓で、すりおろし生姜入りはちみつをかけたヨーグルトを食べ、新しい1日を始めるようになった。毎日の『はちみつ色の幸福』は体と心にまったりと流れ込む。そうして、朝一番に味わうささやかな幸せは、ささやかにその日の活力を呼び起こしてくれる。晴れた日も、曇った日も、雨の日も。
雨音を聴きながら『はちみつ色の幸福』を味わっていると、予定外のプロジェクトにふと心が誘われた。麻糸で手織りのランチョンマットを作ってみようかなあ。はちみつ色のテーブルに似合うような。。。